転職を繰り返したサラリーマンの多趣味ブログ

30才未経験でSEに転職した人の多趣味ブログ

アメトーークでプロレス大好き芸人をやってたから、自分のプロレス遍歴をさらしてみる。

こんにちわ。UUC1Hです。

普段はゲーム開発を記録することをメインとするブログですが、今日は面白い番組を見たのでその感想を書きたいと思います。
何を見たかというと、ブログのタイトルのまんまですが、アメトーークです!
僕は毎週アメトーークを見ているわけではないのですが、今日は「プロレス大好き芸人」ということでリアルタイムで見ました。

まず第一の感想として、

「すげー面白かった!!!」

はい、まずこれに限ります。ケンコバ、博多大吉さん、勝俣さんが出てる時点でプロレス愛は間違いないと思ってましたが、出演者の芸人さんたちはプロレス愛に満ち溢れてました(笑)。
この番組を見ていたら、自分の中のプロレス愛が再燃してきました。まんまと、番組の意図道理になってしまいましたね。
そこで、自分が歩んできたプロレス遍歴を思いつくままに書いていきます。

プロレスとの出会いは武藤敬司で、武藤敬司との別れがプロレスとの別れだった

自分は今31歳。プロレスを見始めたのは小学6年生ごろだったと思います。
きっかけは単純で友達が見ていたから。しかも大勢ではなくて、自分を含めて3人だけでした。
流行りものが嫌いだったので、「みんなが見ていないプロレス見てる俺、かっけー」的な気持ちもありました。
僕が見ていたのは新日本プロレス。見始めた時期がすごく良くて、当時の新日本プロレス武藤敬司率いるnWo蝶野正洋率いるT-2000の戦いがメインでした。黒と黒の戦い。小学生が夢中になるには充分すぎましたね。

また、当時の武藤選手はホントに輝いていて、無敵を誇ったスコット・ノートン選手からIWOチャンピオンベルトを奪取、小島聡選手とのタッグでG1タッグ優勝とノリにノリまくっていました。G1タッグ優勝を決めたとき、たしか越中選手に対してフランケンシュタイナーを決めてからのフォールだったのですが、このときのフォールがかっこよすぎた。。20年たった今でも、あのフォールは忘れられない。。

そして、忘れられないのがIWGPの2度目の防衛戦となる天龍源一郎戦。「ミスタープロレスの名をいただく」と臨んだ武藤選手の気迫に応えるように、天龍選手も雪崩式のフランケンシュタイナーを繰り出す(恐らく初めて使った技)など、20分を超える凄まじい試合でした。
最後は武藤選手の膝が直撃したムーンサルトで3カウントを奪い、ベルトを死守。試合後に武藤選手が、「ミスタープロレスは、天龍源一郎のものだ」と語っていたのが印象的でした。

しかし、栄光はいつまでも続かないのは、どんなスポーツでも共通ですね。年末に天龍源一郎IWGPのベルトをかけて再戦することになりました。この試合は、前回の試合を上回る白熱っぷり。天龍選手が逆水平を放てば、武藤選手はバク宙蹴りで応戦し、前回3カウントを奪った膝を当てるムーンサルトを繰り出すも今回は3カウントを奪えず。。
そして、天龍選手は驚きの技を出します。なんと、佐々木健介選手(元祖は北斗晶選手)の必殺技のノーザンライト・ボムです。当時はぶったまげましたね。。武藤選手は2.99999秒で返すも、もう一発ノーザンライト・ボムを食らわされてさすがにフォールを返せず。。IWGPのベルトを失います。
続いて、年始の東京ドームで行われた蝶野選手とのシングルマッチ。ここでは、蝶野選手が初めて見せるクロス式STF(この時、特殊なリストバンドもしていた)で、痛恨のギブアップ。。nWoは完全に消滅へ追い込まれ、武藤選手もアメリカのプロレス団体WCWへ参戦します。ここが、武藤選手の大きな区切りだったことは間違いないはず。
僕がプロレスを見なくなったのも、このあたりですね。

また、当時の新日本プロレスに風というか、事件を起こした選手も忘れてはいけません。邪道大仁田厚です。

大仁田厚という事件

 まさに事件だったと思います。大仁田厚選手が、すでに引退していた長州力と試合をさせろと新日本プロレスに直談判します。もちろん新日本はそんなことを許すわけがなく、代わりに佐々木健介選手と試合が組まれます。
試合内容としては、健介選手の一方的な試合展開となりましたが、最後の最後に大仁田選手が健介選手に火を放ち、大仁田選手の反則負け。これまで、新日本プロレスのリングで火を放った選手なんているのだろうか。。

その後も大仁田選手の新日本プロレス参戦は続き、今度は蝶野選手とあろうことか有刺鉄線電流爆破デスマッチを行います。新日本プロレスに有刺鉄線電流爆破が持ち込まれるという前代未聞の事態が発生しました。
試合はたしか引き分けだったような。。(ここあんまり記憶が定かではないです。)
驚きだったのが、その後蝶野選手と大仁田選手はタッグを組み、武藤選手と試合を行います。ここで、禁断の大仁田選手があろうことか武藤選手に毒霧を出すんですね。

ここで武藤選手がキレて、グレートムタ vs グレートニタの試合が決定します。試合は神宮球場の屋外で行われ、久しぶりのグレートムタの登場、有刺鉄線電流地雷爆破デスマッチで相当期待が高かったのですが、試合内容としては正直記憶に残らないものでしたね。グレートムタの凄さは、蝶野選手と組んでいたときのnWo時代が最高潮だったと思います。まさに何でもありでしたからね。そして、今でもムタが毒霧を口に含むタイミングは分からない。。

佐々木健介蝶野正洋、グレートムタときて、ついについに長州力戦が決定しました。試合形式も有刺鉄線電流爆破デスマッチ。試合内容は、、、「長州力強し」というものでしたが、長州力を引っ張り出した大仁田厚はやっぱりすごいですね。「涙のカリスマ」という二つ名に偽りなしだと思います。

不死鳥ハヤブサという天才レスラーについて語らせてほしい

ここまで新日本プロレスについて語ってきましたが、「コロッセオ」という格闘技の深夜番組がスタートしたことで、インディーズ団体についても知るようになりました。
ドラゴンゲートのCIMA選手やストーカー市川選手はこの番組で知りましたし、インディーズ団体の技の多彩さ(特に空中殺法は自分の斜め上でした)には熱くなりましたね。

そこで特に心ひかれたのが当時FMWに所属していたハヤブサ選手です。ハヤブサ選手は、まさに別格でした。
FMWはインディーズ団体ながらメジャー団体にひけをとらない観客動員数を誇っていました。しかし、FMWの顔でもあった大仁田厚を失い、「大仁田厚がいなければFMWは3カ月でつぶれる」と言われながらも、FMWは持ちこたえます。それは、新しいFMWのエースであるハヤブサ選手が所属していたからです。

ハヤブサ選手は、リングネームの通りまさに不死鳥のごとく空を舞っていました。まさに空中殺法の天才。
ファイヤーバードスプラッシュ、フェニックススプラッシュ、シューティングスタープレスを必殺技として持ち、すごいのはこういう高難度の技を普通の地方大会とかで出していたことです。
こういう危険性のある大技は、大きな大会でしか出さないものと思っていましたが(個人の感想です)、ハヤブサ選手は違いました。お客さんはハヤブサ選手の空中殺法を見に来ていることを自覚してからか、大技を惜しみなく出していましたね。まさに命をかけて、空を舞っていたと思います。打点の高いドロップキック、ファルコンアローなどのスープレックス系の技の美しさと、どれを取っても超一級でした。

僕はプロレスラーは「夢を与えてくれる職業」だと思っているのですが、ハヤブサ選手ほど夢を与えてくれたレスラーは僕は知らないです。いや、マイクパフォーマンスがホントにかっこよかったんですって。

「お楽しみはこれからだ」

この言葉に夢を見せてもらった人がどれだけいることか。
しかし、ハヤブサ選手は試合中の事故で全身不随になってしまいますが、レスラーへの復帰を宣言します。普通に考えれば不可能に思えますが、「ハヤブサ選手ならば」とファンなら信じていたと思います。
リハビリを行い、車椅子から立ち上がったハヤブサ選手の姿はまさに不死鳥でした。

本当に残念ですが、ハヤブサ選手こと江崎英治さんは昨年亡くなられました。しかし、僕は一生ハヤブサ選手のことを忘れません。それほど、素晴らしいプロレスラーだったからです。

アメトーークでプロレスに新たに興味が湧いた人も多くいると思いますが、これを機にハヤブサ選手についても知ってほしくこのブログを書きました。
僕自身も最近はプロレスを見なくなっていたんですが、これを機にプロレスを見ていこうと思います。
何が言いたいかというと、プロレスって最高ですね。